僕は犬が大好きで、子どもの頃から犬を飼っていた。
大人になって独り立ちした今でも犬が大好きで、ボーダーコリーのメスを飼っている。
両親も犬が大好きで、実家ではミニチュアシュナウザーのオスが飼われいる。
始めて犬を飼ったきっかけは、子どもの頃の僕が犬を飼いたいと言い続けたからだ。
僕は5年間、事あるごとに犬を欲しがり、両親は何度もそれを却下していた。
今回は犬を飼ってもらえるようになるまでの経緯を話そうと思う。
20年以上も前の話なので、事実と少し異なることもあるかもしれないけど、出来る限り詳細に思い出そうと思う。
お子さんに犬を飼ってとせがまれている親御さんには、一つの意見として参考にしてもらいたい。
物心がついた頃から生き物が大好き
いつの頃からだろうか。まさに物心がついた頃からと表現するのがぴったりなくらい、僕は生き物が大好きだった。
幼い頃の僕は、まだ犬を見たことがない(もしくは見たことはあるかもしれないど、どんなものなのかしっかりとは認識していなかった)から、犬を欲しがることはまだなかったけど、当時は水槽で金魚や、父親が近所で釣ってきたフナを飼育していたので、よく魚を眺めていた。
この頃から生き物は大好きだったように思う。
家では魚を眺め、祖父の家に遊びに行った時にはセミ取りをしていた。
今にして思うけど、当時は犬や猫と触れ合う機会が皆無だったため、そもそも家で犬を飼うという発想が出てこなかっただけのような気がする。
犬を飼っている知り合いでもいれば、
「うちでも飼おうよ!絶対に世話をするから!」
といっていた自信がある。
犬が飼いたいとお願いする日々
小学生になった僕は、あいも変わらず生き物に夢中だった。
カブトムシが採れるような郊外ではなかったけれども、草むらではバッタやカマキリ、側溝ではザリガニを採ることができた。
虫やザリガニを摂るのも楽しかったけれども、この頃から犬が欲しいという気持ちが強まってきた。
当時読んでいたマンガ(ドラえもん)で、のび太に犬がなつく描写があり、羨ましく思った記憶がある。
この頃から親に犬を飼ってくれるように何度もお願いするようになる。
もちろん、全て却下である。
飼うための条件さえ出してもらえない有り様だった。
飼えない理由は
- 近所迷惑である
- すぐに飽きるに違いない
- 犬の寿命は短いので死んだ時に悲しい
- 犬を飼うにはお金が掛かる
という理由だった。
ぐうの音も出ないほどの正論だとは思うが、そんな簡単に諦めがつくはずもなく、事あるごとに犬を飼うように説得をはじめた。
ちなみに、どうしても犬が無理なら、猫でもいいから飼いたいとお願いするも、犬は上記の理由で飼えないが、猫はそもそも嫌いなので飼わないとの返答だった。
生き物の命に優劣をつけるのは良くないことかもしれないけど、悲しさのレベルが全く違った。
本当にヘビーな一撃だった。
手乗りインコ
犬が欲しくてたまらない僕には、ザリガニやカマキリ、バッタではもう満足できなくなっていた。
犬が無理なら猫でもいい。せめて触れ合える動物が欲しいと思っていた。
何度もお願いするうちに、犬は無理だけど、手乗りインコのヒナを飼ってもらえることになった。
本当のヒナの状態で買ってきて、スポイトで餌を与えながら育てた。
鳥って人に懐くような印象を持っていない人もいるかもしれないけど、ヒナから育てると、ちゃんと人間になつく。
手乗りインコは室内で放し飼いにしていたんだけど、誰かが帰宅すればちゃんとその人の肩まで飛んでいって、肩にとまる。
人間になついており、ふれあえる動物の素晴らしさを手乗りインコで知った。
でも、幸せはそんなに長く続かなかった。
理由はわからないけど、このインコはさほど長生きすることなく、死んでしまった。
飼っているザリガニや金魚が死んでも悲しいけど、しっかりとなついており、家族同然で暮らしていたインコの死の悲しさははかりしれなかった。
数ヶ月一緒に暮らしたインコの死でもこの悲しさなわけで、長年一緒に暮らした犬が死んだ時には立ち直れないほどの悲しさが自分を襲うことが想像できた。
犬に関する本から、シートン動物記まで読み漁る
生き物の死は悲しいということは理解しても、やはり犬を飼いたい気持ちは抑えきれない。
犬が飼えない僕は、犬を飼っている気持ちになるため、犬に関する本を読みあさっていた。
図書館に通って犬の飼い方の本からシートン動物記まで、動物に関する本を読みあさった。
夢を信じて努力すれば叶うと信じていたフシもあったのだと思う。
犬がほしい一心で、健気に頑張るアピールも含まれていただろう。
しかし、犬を飼うには至らなかった。
迷子の犬を勝手に保護
朝から晩まで一緒にいた記憶があるので、夏休みの事だったと思う。
僕は一匹の雑種(Mix犬)の野良犬と出会った。
人に飼われていて迷子になったような犬ではなく、明らかに野良犬といった風体の中型犬だった。
始めて触れ合った犬だったと思う。
見た目は少し怖そうな犬だったけど、決して暴れたり噛んだりしなかった。
今でこそ見かけないが、当時は家の近所に不法投棄された自動車がちらほら見受けられた。
窓が割れていたり、ドアが開いている自動車ばかりなので、小学生の僕らの遊び場やちょっとした隠れ家として利用されていた。(今では考えられないくらいおおらかな時代だった)
この野良犬を家に連れて帰ったところで、絶対に飼ってもらえないとわかっていた。
そこで僕は放置車両の中でこの野良犬を飼うことにした。
人間の非情さ、残酷さを知る
放置車両の中で飼い始めたこの雑種の野良犬。
僕にとってはじめての犬なので、きっと何か名前をつけていたに違いない。
でも、残念ながら、今の僕は当時付けていた名前を思い出すに至らない。
というのも、この犬は僕が放置車両で飼い始めてすぐ、保健所の職員につれていかれたからだ。
僕が犬と一緒に過ごしていたら、数人の保健所の職員と思われる大人が現れ、引っ張ると首がしまる仕組みの捕獲器で捕まえてしまった。
するりとワイヤーを首にかけ、引っ張られ捕まった犬。
「キャン」一鳴きし、すぐさま車へと積み込まれ、去っていった。
野良犬を放置車両の中でかくまっていた僕はその後ろめたさなのか、大人に文句を言っても通用しないという諦めなのか、今となっては覚えていないが、一切の抗議を行わなかったように記憶している。
首にワイヤーを引っ掛けて車に載せるという残酷な手段を見た僕は、何もできない自分が情けなくなりその場で立ち尽くし、ただ泣き続けた。
この保健所の一件は、もちろん親にも話した。
元々、犬が嫌いなわけではないから、連れて行かれたのはかわいそうでならないと言っていた。
ついに両親が折れた
それから数年が経ち、僕は小学校高学年になっていた。
この頃、僕の周囲でちょっとした変化が起こっていた。
たまたまだが、僕の同級生の友達の家が一斉に犬を飼い始めたのだ。
シーズー、柴犬、ミックス犬など。
友達の家庭に犬がいるのに、うちに犬がいないのは納得出来ない。羨ましくて仕方がない。
と訴え続けた結果、うちも犬を飼うことになった。
狭い家だからあまり大きくなる犬を飼うわけにもいかないというわけで、ペットショップまで犬を選びに行くことになった。
これが、犬が飼いたいと思ってから、実際に買いに行くまでの流れだ。
次回は実際に犬を買いに行ってからのことを記そうと思う。
この記事の続き:我が家に待望の子犬がやってきた